2026年 5月例会 オペラ さよなら、ドン・キホーテ!

オペラシアター こんにゃく座「さよなら、ドンキホーテ!」メインビジュアル:岡山市民劇場 2026年 5月例会

オペラシアター
こんにゃく座

さよなら、ドンキホーテ!

台本・演出:  鄭 義信
作曲・音楽監督:萩 京子

公演スケジュール

岡山芸術創造劇場ハレノワ 中劇場
例会日
5/20 19:00
5/21 13:00
5/22 12:30
5/23 14:00
5/24 14:00
西大寺市民劇場例会
西大寺公民館大ホール
例会日
6/4 18:45
6/5 13:00
上演時間:2時間15分(予定)

魅力に迫る会にお迎えします♪

2026年 5月例会 「さよなら、ドン・キホーテ!」魅力に迫る会

「さよなら、ドン・キホーテ!」の魅力に迫る会にベル役 沖まどかさん、こんにゃく座代表・音楽監督 萩京子さんをお迎えします!…続きを読む


キャスト・スタッフ

Cast

  • 沖まどか
    ベル
  • 小林ゆず子
    サラ
  • 佐藤敏之
    トーマス
  • 島田大翼
    ルイ
  • 梅村博美
    オードリー
  • 大石哲史
    ロシナンテ
  • 金村慎太郎
    サンチョ
  • 壺岐隆邦
    サイモン
  • 大坪夕美
    ピアノ

台本演出
鄭 義信

作曲
萩 京子

Staff

美術 池田ともゆき
衣裳 宮本宣子
照明 増田隆芳
振付 伊藤多恵
擬闘 栗原直樹
音響 藤田赤目
舞台監督 藤本典江
音楽監督 萩 京子

ものがたり

ドン・キホーテになることを夢見る少女ベル 馬のロシナンテとサンチョとともに冒険の旅が始まる!

オペラシアター こんにゃく座「さよなら、ドンキホーテ!」舞台写真:岡山市民劇場 2026年 5月例会

第2次大戦中のフランス田舎町が舞台。
牧場主の父トーマスと厩舎で暮らす娘ベルは、社会の定める男らしさ女らしさに違和感を感じ、ドン・キホーテのように世界を遍歴し、悪を正すことに憧れている。

そんな彼女の元に、ナチスによるユダヤ人迫害で家族と離れ離れになった少女がやって来る。ベルは彼女を好きになり、父に内緒で彼女をかくまう。

馬丁のルイ、ベルの担任のオードリー、そして、厩舎で飼われる“馬”のロシナンテとサンチョ。2頭の馬と、ある家族がそれぞれの境遇を生き抜いていく物語。

- かいせつ -    

今この時代に伝えたいこと

鄭+萩コンビの作品はつねに涙と笑いに満ち、見終わると元気が出るオペラと言われてきましたが、今回は底抜けに楽しいオペラ、というわけにはいかなくなりました。このような時代にこそ伝えなくてはならないことをオペラで伝えたい。台本+演出の鄭義信さんも作曲家である私も同じ思いです。
このような暗い、苦しい時代は、突然やってきたわけではなく、徐々にその足音は聞こえていました。貧困、差別、偏見……そして戦争が足音を立てて近づいてきています。今まさに、さまざまな暴力にさらされている人々に思いを馳せること。わたしたちにできることはわずかですが、それでもオペラで何が伝えられるか? と考えました。

オペラ『さよなら、ドン・キホーテ!』では2匹の馬が人間を批評します。そこからにじみ出る苦い笑いがあります。1940年代のフランスの田舎を舞台としていますが、この作品のテーマは? と問われれば「今この時代そのもの」と答えるしかありません。
戦争、家族、LGBTQ、愛、友情、宗教、抵抗、差別、孤独、死、教育、性暴力……。登場人物が背負ってしまっているそれらひとつひとつの苦しみは、簡単には解放されることはありません。他者はそれを簡単には共有することはできないけれど、思いを馳せることはできるはず。
深い怒り。長く続く怒り。幼い涙が乾き、そこに消えない灯のように燃え続ける怒り。
そしてどんなに苦しくても生きて行くこと。
わたしたちはこの時代のあふれるほどの理不尽に口を閉ざすことはできません。
これは暗く苦い祝祭オペラです。


オペラシアター こんにゃく座「さよなら、ドンキホーテ!」フライヤー表:岡山市民劇場 2026年 5月例会
オペラシアター こんにゃく座「さよなら、ドンキホーテ!」フライヤー裏:岡山市民劇場 2026年 5月例会

えんげきの友より

台本・演出 鄭義信の言葉

ドイツ人が強制収容所にいれたのは、実はユダヤ人だけじゃなくて、同性愛者だったり、社会主義者だったり、あとは体に障碍がある人も。
マイノリティが切り捨てられる時代が二度と訪れないよう、警鐘をならさないといけないんじゃないかって。
差別と戦争とは、すごく結びついているんじゃないかと思います

~インタビュー記事「SPICE」より抜粋~
岡山市民劇場 2026年 5月例会 さよなら、ドン・キホーテ! - こんにゃく座 舞台写真


ベルが憧れた「ドン・キホーテ」とは!?

スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスにより、
17世紀初頭に書かれた小説 が「ドン・キホーテ」。
あらすじ
  • 挿絵
     スペインのラ・マンチャに住む初老の男、アロンソ・キハーノ が騎士道物語の読み過ぎで正気を失い、自らを遍歴の騎士ドン・キホーテと名乗り、痩せ馬ロシナンテにまたがり、世の不正を正す冒険へと繰り出す!
  • 挿絵
     ただの宿屋を “城”、宿の亭主を “城主” と思い込み、騎士になるため叙任してほしいと願い出てみたり、目の前の大きな風車を“巨人” と思い込み、槍を構え風車に突進!
  • 挿絵
     百姓のサンチョ・パンサを言葉巧みに誘い従者とし、架空の思い姫 “ドゥルシネア”から祝福を受けようとエル・トボーソへ向かう。姫を連れて来いと言われて困ったサンチョは、道行く百姓女を“姫”だと思い込ませようとするが、 百姓女を見たドン・キホーテは 「魔法使いによって姫の姿が変えられてしまった!」と嘆く。
  • 挿絵
     道中出会った馬車の一行を“姫を拐かす妖術師” 、 羊の群れを“軍隊”と思い込んだり、自らほうぼう首をつっこみ、 そして大方において痛い目に遭ってしまう。
    心配したサンチョと仲間たちは、一計を案じて、 彼を故郷の村へ連れ戻し静養させる。
    しかし、学士サンソン・カラスコから『ドン・キホーテの物語』が出版されていることを 聞かされ、士気が上がり、サンチョを連れてまた旅に出る!
  • 挿絵
     その後、彼を故郷へ連れ戻そうとした学士サンソン・カラスコの計らい(妄想に付き合った決闘)によって故郷へ戻ったドン・キホーテは病に倒れ、臥した中で正気を取り戻した。 サンチョはもう 一度一緒に旅に出ようと励ますが、皆に見守られ息を引き取る・・・・・・。
  • イラスト:太田まり

【知っていると舞台がもっと深まる!『ドン・キホーテ』名前の由来】
主人公の本名は

アロンソ・キハーノ(Alonso Quijano)

騎士になる際、自分の家名である「キハーノ」をもじって、より騎士らしく、かつ滑稽な響きを持つ「キホーテ」という名前を作り出しました。

小説『ドン・キホーテ』の名前(主人公が自称する騎士名)の由来は、主に以下の3つの要素が組み合わさったものです。

1. 敬称「ドン (Don) 」の自称
「ドン」は本来、高位の貴族や聖職者にのみ許された尊称です。しがない田舎の郷士・下級貴族(イダルゴ)に過ぎないアロンソ・キハーノが、勝手に「ドン」を名乗るのは、今で言えば「一般社員が勝手に名刺に『プレジデント』と刷り込む」ような、噴飯ものの越権行為でした。その行為自体が、当時の読者にとっては「身の程知らずな滑稽さ」を象徴する最初のギャグとして機能し、物語の滑稽さと悲哀を同時に生んでいます。
2. 接尾辞「-ote」による滑稽なニュアンス
スペイン語の接尾辞 「-ote(オテ)」 には、以下のニュアンスが含まれます。

  • 指大辞: 大きいこと。単に物理的な大きさだけでなく、感嘆・賛美、あるいは軽蔑・非難といった感情的なニュアンスを表現する際にも用いられます。
  • 軽蔑・嘲笑: 「~の野郎」「~の出来損ない」といった、少し馬鹿にしたような響き。
  • 韻を踏む: 当時流行していた騎士道物語の英雄「ランサローテ(Lancelotのスペイン語名)」などの響きを皮肉って真似ています。

本名の「キハーノ(Quijano)」という平凡な名前に、この「-ote」をくっつけることで、「偉そうな騎士のフリをした、滑稽な男」というニュアンスが強調されています。

3. 鎧の腿当て (Quijote) という二重の意味
「Quijote」という単語には、実際に鎧の「腿(もも)当て」という意味があります。

  • 滑稽さ: 自分の名前を、高潔な理念ではなく「防具の一部(しかも地味なパーツ)」から取るというセンスが、彼の騎士としての「偽物感」を際立たせています。
  • 馬の尻(背尻): 乗馬用語としての側面もあり、高貴な騎士が名乗るにはあまりに泥臭い言葉でした。
さらに原題の

ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ
(Don Quijote de la Mancha)

「ラ・マンチャのキホーテ卿」と、あえて郷土の名を冠しているあたりにも、作者セルバンテスらしい皮肉とユーモアが込められています。

ラ・マンチャとは?
ラ・マンチャ(La Mancha)はスペイン中央部の広大な乾燥した高原地帯です。
現代では世界最大級のブドウ栽培地であり、風車群(コンスエグラなど)が点在する景色が特徴的な地域です。

当時、騎士道物語の英雄たちは「ガウラ(アマディス・デ・ガウラのような架空の土地)」や「ギリシャ」など、遠く華やかな土地を冠していました。
一方、ラ・マンチャは「マンチャ (汚れ、染み)」という言葉も連想させる、スペインで最も平坦で、埃っぽく、「騎士道とは最も縁遠い退屈な田舎」でもあります。

また、キハーノ (Quijano) はスペイン北部カンタブリア地方にある村の名前です。
スペインの一般的な姓でもありますが、もともとはこの地名に由来する「地名姓(トポニミック・サーネーム)」です。

日本で例えるなら、「東北(キハーノ)にルーツを持つ名字の男が、九州(ラ・マンチャ)のド田舎で騎士を自称している」ような距離感のズレがあります。

「身分の高い名前(ドン)」+「防具(キホーテ)」+「地味な田舎(ラ・マンチャ)」という組み合わせは、当時の読者からすれば「最高に格好つけているのに、一言目から全部ボロが出ている」状態だったのです。

また、このオペラ「さよなら、ドン・キホーテ!」の物語の核にも繋がるであろう、当時のスペインの身分制度・身分原理という補助線を引くと、ドン・キホーテの名前と背景がさらに立体的になります。

1.「イダルゴ (郷士)」という微妙な立ち位置
主人公は「イダルゴ (Hidalgo)」という身分です。これは貴族階級の末端で、「税金は免除されるが、仕事(労働)はしてはいけない、でも金はない」という、当時のスペインで最も中途半端でプライドだけが高い層でした。

本名の「キハーノ (Quijano)」は、北部にルーツを持つ古いキリスト教徒の家系を匂わせますが、実際にはラ・マンチャの田舎で、昨日の残りの肉料理を食べるのが精一杯の生活でした。

2.「血の純潔」 (ユダヤ・イスラム系との区別)
17世紀当時のスペイン社会には「血の純潔 (Limpieza de sangre)」という、現代の差別にも通じる非常にシビアな身分原理がありました。これが『ドン・キホーテ』の背景にある「切実なプライド」を形作っています。

1.「古いキリスト教徒」というブランド
当時のスペインでは、単に貴族か平民かという区別以上に「先祖代々、純粋なキリスト教徒であるか」が重視されました。

  • かつてイスラム教徒 (ムーア人) に支配されていたスペインでは、改宗したユダヤ教徒やイスラム教徒(新キリスト教徒)が多くいました。
  • 主人公のような「イダルゴ(郷士)」層にとって、唯一誇れる財産は「金」ではなく、自分の血筋に「他宗教の混じりがない(古いキリスト教徒である)」という一点だけでした。

2.「ラ・マンチャ」という場所の「汚れ」
実は「マンチャ(Mancha)」という地名には、スペイン語で「汚れ、染み、汚点」という意味があります。

  • これには二重の意味があり、一つは物理的な「埃っぽい田舎」であること。
  • もう一つは、血統的な「汚れ(他宗教の混じり)」を連想させる、という説があります。

あえて「汚れ」という名の土地の騎士を名乗ることは、逆説的に「俺の血筋は潔白だ!」と叫んでいるような、滑稽でいて必死な叫びでもあったのです。

3. 名前と身分の「防衛意識」
彼が「キハーノ(Quijano)」という、北部(レコンキスタの拠点となった純粋なキリスト教圏)にルーツを持つ苗字を名乗っているのも、「自分は卑しい血筋ではない」という強烈な自意識の現れです。

しかし、現実はラ・マンチャの片隅で、ボロボロの鎧を抱えて隠居している。だからこそ、彼は「ドン・キホーテ」という偽りの騎士名を創り出し、過去の輝かしい(と思い込んでいる)騎士道の世界へ逃避したのです。

当時の読者にとって、彼が「ドン」を自称し、「ラ・マンチャの騎士だ」と胸を張る姿は、単なる勘違い男ではなく、「時代の波に取り残され、血統という目に見えないプライドだけを必死に守ろうとする、没落した初老の男の悲しい抵抗」としても映っていたはずです。

4. 最後のパズルのピース
当時のスペインの社会背景(血の純潔や身分制度)をふまえると、以下の3つの視点が見えてきます。

  • (1) 騎士としての「形式」の完成
    当時の騎士道物語において、騎士は「誰か(貴婦人)のために戦う」のが絶対のルールでした。主君がいない騎士は「魂のない体」と同じです。

    彼は「ドン・キホーテ」という名前と鎧を手に入れましたが、それだけでは「形」が足りません。
    そこで、近所の農婦アルドンサ・ロレンソを勝手に「ドゥルシネア」という高貴な姫に仕立て上げました。
    「名前(ドン)+土地(ラ・マンチャ)」+愛する姫(ドゥルシネア)という最後のピースが揃って初めて、彼は現実の冴えない自分を完全に捨て去ることができたのです。

  • (2)「血の純潔」への強烈なカウンター(反撃)
    先ほどお話しした「血の純潔」という文脈で考えると、彼は「汚れ(マンチャ)」の中に、究極の「清らかさ(ドゥルシネア=甘美な、という意味)」を見出そうとしました。

    現実のアルドンサは、豚の塩漬けが得意な、たくましい田舎娘です。
    しかし彼は、彼女を「天上的な美しさと純潔を持つ姫」と信じ込むことで、「自分の住むこの埃っぽい田舎も、自分のボロボロの血筋も、彼女への愛があれば黄金時代のように輝くのだ」と証明したかったのではないでしょうか。

  • (3)「信じる力」による自己救済
    彼は、自分が作り上げた「嘘(設定)」を、自分自身で一番強く信じる必要がありました。

    世界中が彼を「狂った老人」と笑っても、ドゥルシネアという「絶対的な美」を想定することで、彼は自分の行動すべてに正当性を与えることができました。
    彼女は、没落していくスペインや、行き場のない下級貴族(イダルゴ)である彼にとっての「希望の象徴」そのものだったのでしょう。

    ドン・キホーテにとってドゥルシネアは、実在の女性というよりは、「彼が正気でいられないほど残酷な現実を、美しく塗り替えるための魔法」だったのだと思います。

「ドン・キホーテ」という滑稽な名前の裏には、こうした当時のスペイン社会の歪みや、個人のアイデンティティの危機が隠されています。

『さよなら、ドン・キホーテ!』の物語、そして鄭義信さん、萩京子さんのメッセージと、この「ドン・キホーテの名前の由来」や「当時のスペインの背景」が、このオペラの設定と驚くほど深く、鋭くリンクしていることに鳥肌が立つ思いです。

そして、劇中で ロシナンテ と サンチョ という「2頭の馬」が人間を批評するという設定は、原作の名前の由来を知るとさらに皮肉が効いてきます。

ロシナンテ:名前の由来
このロシナンテという名前には、このオペラにも通じる、非常に残酷で、かつ美しい「逆転の物語」が隠されています。

1. 名前自体の仕掛け: 「かつて」と「今」
「ロシナンテ(Rocinante)」は、スペイン語の2つの言葉の組み合わせです。

  • ロシン(Rocín):役に立たない「駄馬」「ボロ馬」。
  • アンテ(Antes):「以前は」「〜の前に」。

つまり、「以前はただの駄馬だったもの」という意味になります。
彼は騎士になる際、自分の馬に4日間もかけてこの名前を考えました。「今は世界一の軍馬だが、以前はただの駄馬だった」という、「過去の卑しい自分を脱ぎ捨て、生まれ変わった」という宣言なのです。

2.「馬による人間批評」とのリンク
「かいせつ」の文中に「2匹の馬が人間を批評する」とありますが、ロシナンテという名前の由来を知ると、その批評はより辛辣で深いものになります。

  • 人間の傲慢さ:人間は勝手に「駄馬」と呼んで馬を差別し、格付けします。
  • 名前による上書き:主人公が「ロシナンテ」と名付けたことで、馬は無理やり「伝説の軍馬」という役割を背負わされました。

戦時中のフランスという極限状態において、馬たちが「ロシナンテ(かつての駄馬)」という名で呼ばれながら人間を見つめる時、そこには「レッテルを貼って安心したり、利用したりする人間の身勝手さ」への鋭い視線が宿るはずです。

3. ベルと「ロシナンテ」の共鳴
主人公ベルが「社会の定める男らしさ女らしさに違和感」を感じているという点において、ロシナンテという存在は彼女の鏡になります。

  • 社会から「お前はただの駄馬(ロシン)だ」「お前はただの女だ」と定義されても、自分自身で「いや、私は、かつて(アンテ)そうだったかもしれないが、今は違う生き方を選ぶのだ」と定義し直す。
  • この「アンテ(以前)」を過去に置き去りにして、新しい自分を生きようとする意志こそが、ドン・キホーテの狂気であり、ベルの勇気でもあります。

4.「さよなら」が意味するもの
舞台のタイトル『さよなら、ドン・キホーテ!』を考えると、さらに切なくなります。
原作の最後、ドン・キホーテは正気に戻り、自分の名前を「アロンソ・キハーノ」に戻して死んでいきます。それは、魔法が解け、「ロシナンテ」がただの「老いた駄馬」に戻る瞬間でもあります。

鄭さんが描く「暗く苦い祝祭」の中で、馬たちが自分たちの名前(ロシナンテ、サンチョ)の滑稽さや意味を自覚しながら人間を批評するのだとしたら、それは「差別される側からの、命がけのユーモア」と言えるかもしれません。

サンチョについて
劇中のサンチョ(馬)について、原作のサンチョ・パンサ(Sancho Panza)の名前の由来から深掘りしてみました。

1.「サンチョ」と「パンサ」の意味

  • サンチョ(Sancho): スペインでは極めてありふれた、平凡な名前です。
  • パンサ(Panza): スペイン語で「太鼓腹」「腹っぺらし」を意味します。

つまり、サンチョ・パンサという名は「どこにでもいる、食いしん坊の太っちょ」という、世俗的で泥臭いニュアンスを持っています。

2. 「理想」を運ぶ馬「現実」としての馬
オペラ『さよなら、ドン・キホーテ!』において、サンチョが「馬」として設定されているのは非常に象徴的です。

  • ロシナンテが「高潔な理想」や「過去への抵抗」を象徴するなら、サンチョは「空腹」「痛み」「恐怖」といった、逃れられない生命としての現実を象徴しているのではないでしょうか。
  • 戦時下のフランスという極限状態において、理屈や理想だけでは生きていけません。「腹が減った」「怖い」「死にたくない」という、サンチョが体現する「生存本能」こそが、人間を批評する際の最も鋭い武器になりそうです。

3. 2頭の馬が「人間を批評する」意味
鄭義信さんの演出で、この2頭が人間を批評する時、以下のような対比が生まれると推測できます。

  • ロシナンテ(理想): 「人間はなぜ、自分たちが決めた『レッテル(名前や性別)』に縛られて、不自由に生きるのか?」と、精神の不自由さを笑う。
  • サンチョ(現実): 「人間はなぜ、たった一つの命、たった一度の食事より、『国家』や『思想』なんていう食えないものを優先して殺し合うのか?」と、生存の愚かさを嘆く。

4. ベルの家族と「サンチョ」の絆
あらすじにある「厩舎で暮らす娘ベル」にとって、サンチョという名の馬は、理想を追う彼女を地上に繋ぎ止める、もっとも身近で温かい「愛すべき隣人」のような存在かもしれません。
サンチョは、ベルがかくまったユダヤ人の少女や、差別される人々と同じく、「ただ生きているだけで価値があるはずの、剥き出しの命」を代表しているように思えます。

高潔な軍馬を気取る『ロシナンテ(かつての駄馬)』と、生存の本能を象徴する『サンチョ(食いしん坊の太っちょ)』。この2頭の馬が人間を批評する設定は、理想と現実の狭間で揺れる人間たちの滑稽さと、戦時下という理不尽な時代に『生き抜くこと』の尊さを、苦い笑いとともに浮き彫りにしていくのでしょう。

「ドン・キホーテ」という名前が「偽りの盾」だとしたら、その隣にいるサンチョは、決して偽ることのできない「生身の体」そのものです。
この「理想(ロシナンテ)」と「現実(サンチョ)」の対比に気づくと、鄭義信さんがこの2頭に託した「今この時代に伝えたいこと」が、より切実に響いてくる気がしませんか?

まとめ

「ドン・キホーテ」という名は、立派な家名を捨て、あえて蔑称や防具の響きを混ぜた『自称』。

それは、社会が定める『正しさ』や『身分』から逸脱し「平凡な自分」を脱ぎ捨て、自分の理想を生きようとする孤独な決意であり「自分自身の不完全さを旗印にして生きる」という姿勢の現れでもあります。

本作『さよなら、ドン・キホーテ!』で、理不尽な時代に抗い、マイノリティとして生き抜こうとする登場人物たちの姿は、まさにこの『名もなき騎士』の魂を受け継いでいると言えるでしょう。

  • ラ・マンチャ:騎士道とは無縁な場所から立ち上がる、孤独な反骨精神の象徴でもあります。
  • ロシナンテ:過去のレッテルを振り切り、新しい自分として歩み出す意志が込められています。
  • サンチョ:理想だけでは生きていけない現実の中で、逞しく「生き抜く命」の象徴です。

萩京子さんの「消えない灯のように燃え続ける怒り」という言葉と、ドン・キホーテの「狂気という名の抵抗」は、時空を超えて共鳴しているように感じます。

社会が勝手に決めた「名前(レッテル)」を、自らの理想で書き変えていく。そんな彼らの旅は、この舞台でどんな結末を迎えるのでしょうか?


・・・この「名前の由来」を書いている私は、みなさんと同じくこのオペラをまだ観たことがありません(すべて資料と想像・推測だけで書いてます 笑)

「名前の由来」という小さなキーワードから、400年前のスペインと第二次世界大戦下のフランス、そして現代の私たちへの物語が一本の線で繋がっていく過程は、まさに演劇的な体験でした。

余談になりますが、スーパーマーケット「ドン・キホーテ」という名前の選択の理由は「行動的理想主義者であり、既成の常識や権威に屈しないドン・キホーテのように、新しい流通業態を創造したいという願いを込めています」とのこと。

舞台を待つみなさんの想像力をさらに広げる「魔法のスパイス」になることを願っています。

( G )

観劇の感想

今にも通じる差別や問題点がこれでもか!と詰まった作品

  • 笑いと涙! 最後の歌圧巻でした。様々なマイノリティーがある。戦争下というだけでない、現代にも通じること。しかしそのことを踏み越えて前へ進もう! ドン・キホーテは言っている!! なんといってもベルの可愛さが光る。笑ったり、泣いたり、ねだったり、怒ったり、行くぞーと奮起したり。一つ一つの動作が思い返される。
    オペラシアター こんにゃく座「さよなら、ドンキホーテ!」舞台写真:岡山市民劇場 2026年 5月例会
  • 大変熱量の高い舞台でした。言葉が歌が芝居が、ずうんと心の奥に響きました。偏見や差別をはらんだ偽りの正義を押し通すと戦争になる。現在の私たちにも言えることだと思いました。でも、人間の弱さや哀しみを分かり合うことができれば、越えていけるのではないか、そんな風に思いました。
    オペラシアター こんにゃく座「さよなら、ドンキホーテ!」舞台写真:岡山市民劇場 2026年 5月例会
  • 今にも通じる差別や問題点がこれでもか!と詰まったすごい作品。情報量も感情もあふれ出て、改めて人は一人では生きられないのだと感じました。言葉が追いつきませんが、とにかくすごい作品を観た・・・と思いました。たくさんの人に観てもらいたいです!
    オペラシアター こんにゃく座「さよなら、ドンキホーテ!」舞台写真:岡山市民劇場 2026年 5月例会
  • 楽しい舞台でした。コミカルな動き、演出の中にも訴えかけるものが。体当たりの演技や歌が心に刺さってきますね。その技術の高さに感動して聴かせて頂きました。そして戦争の傷跡はどの国にもあり、忘れてはいけないことを改めて思いました。ジェンダー問題も盛り込まれていて、時代の流れを感じました。
    オペラシアター こんにゃく座「さよなら、ドンキホーテ!」舞台写真:岡山市民劇場 2026年 5月例会
    オペラシアター こんにゃく座「さよなら、ドンキホーテ!」舞台写真:岡山市民劇場 2026年 5月例会オペラシアター こんにゃく座「さよなら、ドンキホーテ!」舞台写真:岡山市民劇場 2026年 5月例会
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オペラシアターこんにゃく座

オペラシアター こんにゃく座「さよなら、ドンキホーテ!」舞台写真:岡山市民劇場 2026年 5月例会

オペラシアターこんにゃく座ロゴ

オペラシアターこんにゃく座は、[新しい日本のオペラの創造と普及]を目的に掲げ、1971年に創立されました。母体となったのは、東京芸術大学内で1965年から12年間にわたって活動が続いた学生たちのサークル「こんにゃく体操クラブ」です。このクラブでは、故宮川睦子氏(元東京芸術大学名誉教授)指導のもとに、身体訓練と演技の基礎訓練が行われました。この「こんにゃく体操クラブ」出身者たちにより、自国語のオペラ作品をレパートリーとし、恒常的にオペラを上演する専門のオペラ劇団としてオペラシアターこんにゃく座は設立され、巡回公演を開始しました。

日本にオペラが紹介されてから今日に至るまで、日本では、ヨーロッパで通用するオペラ歌手の育成に力を注いできています。その結果、日本語を歌う技術がなおざりにされ、観客は聞き取れない日本語の歌を聞かされ続けています。そのなかで、こんにゃく座はよく聞き取れる、すなわち内容の伝わる歌唱表現を獲得することを、創立当初からの目的とし、その成果は各方面からの評価を得るに至っています。

こんにゃく座はまた、オペラの演劇性を重視し、こんにゃく体操で培われた身体性を駆使し、演出面にも斬新な発想を提示し続けています。そして大掛かりなグランド・オペラの方向はとらず、ピアノのみ、あるいは小編成のアンサンブルの演奏と少人数の出演者による作品を創作し、数多くの上演を重ねています。

作曲家・林光(1931-2012)は1975年より音楽監督、座付作曲家を、1997年より芸術監督を務めました。現在、萩京子を代表・音楽監督とし、約40名の歌手を擁し、年間およそ250公演の上演活動を続けています。

これまで例会にお迎えした作品たち

2004年 まげもん MAGAIMON
2018年 ネズミの涙
2026年 オペラ さよなら、ドンキホーテ!