劇団文化座
命どぅ宝
演出:鵜山 仁
公演スケジュール
- 岡山芸術創造劇場ハレノワ 中劇場
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例会日 昼 夜 5/8 水 – 6時45分 5/9 木 1時 – 5/10 金 12時30分 – 5/11 土 2時 – 5/12 日 2時 –
- 西大寺市民劇場例会
西大寺公民館大ホール -
例会日 昼 夜 5/14 火 – 6時45分 5/15 水 休館日 – 5/16 木 1時 –
スタッフ・キャスト
Cast
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- 白幡大介
- 阿波根昌鴻
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- 姫地実加
- 阿波根喜代
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- 藤原章寛
- 瀬長亀次郎
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- 高橋未央
- 瀬長フミ
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- 津田二朗
- 石川栄食
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- 青木和宣
- 屋良朝苗
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- 米山 実
- 下地所長
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- 沖永正志
- 並里徳二
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- 井田雄大
- 比嘉良一
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- 大山美咲
- 比嘉タキ
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- 岡田頼明
- 国場幸太郎
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- 田中孝征
- 知念清吉
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- 桑原 泰
- 石川正太
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- 季山采加
- 山城イト
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- 泉 建斗
- 平安山啓介
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- 為永祐輔
- 通訳官・市議
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- 兼元菜見子
- 島民
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- 萩原佳央里
- 島民
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- 早苗翔太郎
- 市議・島民
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- 若林築未
- 島民
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- 深沢 樹
- 島民
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- 阿部由奨
- 看守・市議
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- 川越 司
- 学生・市議
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- 佐々木愛
- 知念マサ
Author
Director
Staff
美術 | 乘峯雅寛 |
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照明 | 古宮俊昭 |
音響 | 齋藤美佐男 |
衣装 | 岸井克己 |
音楽 | 吉田さとる |
舞台監督 | 鳴海宏明 |
制作 | 中山博実 |
ものがたり
第二次世界大戦の終戦から10年ほど経った1950年代。武装兵と重機を投入する 「銃剣とブルドーザー」で土地を強制接収した米軍に農民が非暴力で抵抗した。その実話をもとにした作品。
舞台は沖縄本島の北西にある伊江島の団結小屋。
米軍基地は鉄条網の中。畑地を強制接収された住民たちは粘り強い抵抗運動を行っている。
その中心となり、非暴力・無抵抗を貫き「沖縄のガンジー」と呼ばれた 阿波根昌鴻 (あはごんしょうこう)。
もう一人、彼より7歳年下で、後に那覇市長となる 瀬長亀次郎 (せながかめじろう) の激越な反軍闘争が交差。
二人の友情を交えながら、沖縄本土復帰に向けての闘いが描かれる。
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2021年からの各地例会では、
– 戦後10年の沖縄のことを初めて知った。
– 今も抱える沖縄の矛盾の原点がここにある。
– これは沖縄の問題ではない、日本の問題だ。
と、大きな反響がありました。
今やるべき、みるべき作品と確信し
大きな自信を持ってお届けします。
瀬長亀次郎、阿波根昌鴻の話す一言一言が、観る人の心を揺さぶり、生きる「活力」を与えてくれる感動の舞台 に仕上がっています。
鵜山仁氏の卓越した演出、 文化座のアンサンブルに、どうぞ期待して下さい!!
えんげきの友より
1901年沖縄県本部村に生まれる。
キューバ、ペルーへ出稼ぎに行き、帰国後は伊江島に土地を求め、デンマーク式農民学校建設を志す。
沖縄戦で一人息子を失い、敗戦後は伊江島の土地の63%を米軍に強制収容された際、反対運動の先頭に立つ。
1955年には非暴力による「乞食行進」を沖縄本島で行い、米軍による土地強奪の不当性を島民と共に訴え、のちに沖縄全土に拡がった。〝島ぐるみ闘争〟へ大きな影響を与えた。
自宅敷地内には
「反戦平和資料館 ヌチドゥタカラの家」を開館し、反戦平和の実践活動を続けた。
非暴力主義を貫いた、沖縄の反戦平和・基地撤去闘争のシンボル的存在である。
2002年に101歳で亡くなるまで平和や命の尊さについて説き続けた。
1907年沖縄県豊見城村に生まれる。
沖縄朝日新聞、毎日新聞那覇支局記者を経て、戦後はうるま新報(現:琉球新報)社長に就任。
1947年、沖縄人民党を結成し、書記長として本土復帰運動を主導する。
1952年第一回立法院議員選挙に最高得票数で当選後、琉球政府創立式典で米国への宣誓を拒否し、1954年には共産主義者隠匿の罪で投獄(懲役2年)される。
出獄後は那覇市長選に当選するも、米軍の布令により市長の座を追放され、被選挙権もはく奪された。
1970年には戦後初の国政参加選挙で衆議院議員となった。
1972年、沖縄返還を実現した後は人民党と日本共産党の合流を機に、党中央副委員長に就任。1986年まで7期連続当選。
祖国復帰運動に身を捧げた、反米抵抗運動の英雄的存在である。
2001年に94歳で永眠。
2013年3月
記念館「不屈館 – 瀬長亀次郎と民衆資料 –」が那覇市に開館。
阿波根昌鴻と瀬長亀次郎。
この二人をリーダーとして戦った土地返還闘争と祖国復帰運動は、今に続く戦後の沖縄の戦いの原点でもあります。
沖縄の人々は何故今も座り込みを続けているのか。笑顔を絶やさないあの粘り強い精神力はどこからくるのか…。
私たちは沖縄にどのように寄り添うことができるのかを、観客の皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
観劇の感想
各地公演の感想から
- とても感動しました。素晴らしかった!演劇の力を改めて感じました。力強く訴える言葉、静かに語る深い言葉、音楽、踊り、いつも諦めない沖縄の人たちの歴史と心を刻みました。
- 舞台と客席を隔てる有刺鉄線が、沖縄と本土の間にある高い壁を象徴しているようで、沖縄の人々の思いが伝わらず、苦しい日々ですが、この作品を作ったことに心から敬意を表したいと思います。
- 三線、歌、方言、イントネーションなど、うちなんちゅうかと思いました。魂を感じました。
- すばらしい阿波根さんの導きです。とても理が通っていて誰にでも米軍にさえ納得できると思う!本当にすばらしいリーダーです。これだけ冷静で、平等で、正義の人はかつても現在、そして未来にも通じる。今の日本には阿波根さんのメッセージは響きます
- 亀次郎さんが再び目の前に現れたかのようで、思わず涙があふれました。伊江島の歴史を知らない人もいて、だからこそ演劇で伝えていくことが必要だと思いました。
- 愛さん演じるおばーが可愛らしくて、いとおしく感じました。昌鴻さんの一つ一つの言葉がとっても重く心に響きました。亀さんの苦労や、それを支える奥さんの優しさが胸にグッときました。
- 沖縄の人たちはこんなにも本土復帰を望んでいたのかと。現実はこんなにも厳しいのにと。本土の私たちはあまりにもヌクヌクと過ごしてきた。沖縄のことを周囲の人たちに一人でも多く知ってもらうよう努力しなければと強く強く思った。
伝統ある劇団に育った若い芽が一斉に花開いたかのようにベテラン勢に伍して堂々たる演技で圧倒的な存在感を見せつけた。若手俳優陣の進境著しい舞台だった。
タイトルは沖縄方言で「命こそ宝」という意味。沖縄での反戦平和運動のスローガンとして用いられてきたが、字面ではわかりにくいので、芝居のタイトルとしては損をしているが、本質をとらえたタイトルであり、言い替えはできないだろう。
1950年代、武装兵と重機を投入する「銃剣とブルドーザー」で土地を強制接収した米軍に農民が非暴力で抵抗した。その実話をもとにした作品。
舞台は沖縄本島の北西にある伊江島の団結小屋。米軍基地は鉄条網の中。畑地を強制接収された住民たちは粘り強い抵抗運動を行っている。
その中心となり、非暴力・無抵抗を貫き、「沖縄のガンジー」と呼ばれたのが阿波根昌鴻(あはごんしょうこう=白幡大介)。
もう一人、彼より7歳年下で、のちに那覇市長となる瀬長亀次郎(藤原章寛)の激越な反軍闘争が交差。二人の友情を交えながら、沖縄本土復帰に向けての闘いが描かれていく。
舞台後方に破れかけた日の丸。
1950年代の沖縄の闘いにとって「本土復帰」が大同団結のための共通の合言葉。劇中に「本土復帰したからといってアメリカは本土にも基地がある。沖縄の基地がなくなる保証はないではないか」というセリフがある。しかし、本土復帰は闘争のシンボルとして必要だった。
舞台は阿波根昌鴻の闘いに焦点が絞られている。畑は鉄条網の向こう。やむなく侵入して耕作するも米兵に銃で追われる。喰うものがない。住民は餓死寸前に負い込まれる。最初はカンパを拒否していた昌鴻は恥を忍んで村人と共に乞食行脚をする。それは半年以上にも及ぶ。
自分の畑に入れないため、生活のために米軍の不発弾を拾い生活する。爆発による犠牲者も出る。それでも、闘い続ける。
村のおばあ・マサを演じるのが佐々木愛。
米軍に家を焼かれ、掘ったて小屋で暮らす。強硬に反対運動をする青年たちにおせっかいを焼いては「ヤガマサンババア」(うるさい婆さん)と呼ばれるが、青年たちは婆さんが好きなのだ。
瀬長亀次郎は1954年の人民党事件で逮捕・投獄されるが、56年に那覇市長に当選。だが、翌年、米軍府令により人民党事件の前科を理由に市長を追放、被選挙権を剝奪される。彼が政治に復帰するのは68年の立法院議員選挙での最高位当選による。
昌鴻、亀次郎の出会いによる物語と沖縄の抵抗運動を2時間25分にまとめた杉浦の手腕。
上質なエンターテイメントを読んでいるように、ページを繰る指が急いてしまうような、そんなテンポのある展開。前半1時間は30分くらいにしか感じないし、後半は体感時間がもっと短い。それもこれも切れ味のいい鵜山演出と役者の演技。特に昌鴻役の白幡は演技賞もの。どんなときでもくじけることなく、静かな闘志を胸に秘めた昌鴻という人物を誠実な演技で表現した。いい役者だ。
劇団文化座80年史より
長きにわたる構想の結実
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創立七十五周年記念第一弾作品として、どのような作品が相応しいのか。
佐々木愛の長い間の構想を経て誕生したのが『命どぅ宝』 であった。
これは余談だけどね・・・と、後に佐々木愛が語ったことによれば、『天国までの百マイル』で訪れた北京の下町で、チェ・ゲバラのTシャツ がたくさん売られているのを目にし、 「ア・チェ」というゲバラの愛称のついたレストランに入った時から、その構想は始まったという。
庶民がつくる英雄像。庶民が語り継ぐ英雄の姿。
はたして、日本にそんな人がいるのだろうか…?
若き日のカストロとゲバラのような夢とロマンに満ちた青春群像を創り出したい。そして、 瀬長亀次郎と阿波根昌鴻の名前が浮かんでから間もなく琉球新報に二人の往復書簡が発見された記事を見つけ、企画が実行されていった。脚本の杉浦久幸氏が、 二人に加えて 屋良朝苗を登場させることで、より社会性が増していった。
演出は鵜山仁氏。沖縄現地取材も敢行し、謝花悦子氏(伊江島反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」館長)や内村千尋氏(「不屈館」─瀬長亀次郎と民衆資料―館長)に協力を要請。
特に作品を創る上で、琉球新報論説委員(当時)の宮城修氏と出会い、脚本の監修をお願い出来たことが大きな収穫であった。
近くて遠い沖縄 の復帰運動、基地闘争の経過など歴史的、時代的背景の正確さは、 作品創りにとって重要であった。
阿波根昌鴻役に白幡大介、瀬長亀次郎役に藤原章寛、屋良朝苗役に青木和宣を配した。
鵜山演出も冴え、農民を演じた俳優一人一人の集中力が一体感となり、舞台全面に民衆の力を結集することが出来た。
三線や踊り、メイクや所作などにこだわる文化座流のリアリズムが、沖縄作品を上演し続けてきた強みと相まって、『命どぅ宝』は多くの人に評価される舞台となったのである。
劇作家 であり演出家の坂手洋二氏(燐光群主宰) は文化座機関紙一七八号の中で次のように述べている。
「劇作とは、人間と向き合うことである。演劇とは何か、演劇に何ができるかを、問うことである。その意味で、今年に入ってから観た、劇団文化座さんの『命どぅ宝』(作=杉浦久幸、演出=鵜山仁) は、沖縄と正面から対峙した作品で、その充実を素直に喜ぶことができた。また、自分も沖縄についての戯曲を書く身として、たいへん励まされた。こういう演劇がきちんと存在することに安堵した。」
劇団文化座
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劇団文化座は戦時下の1942年2月、井上正夫演劇道場のメンバーであった演出家佐佐木隆、女優鈴木光枝ら9名によって結成。戦時下の厳しい条件のもとにあっても演劇の良心の灯をともし続けてきた。
現劇団代表は女優の佐々木愛。
歴史の闇に埋没しがちな人々、底辺に生きる人々に光を当てた作品を数多く創り出し、またその一方で絶えず新たな題材、舞台表現にも挑戦している。
これまで例会にお迎えした作品たち
1959年 | 炎の人 |
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1961年 | 荷車の歌 |
1965年 | 土 |
1966年 | 炎の人 |
1967年 | 荷車の歌 |
1969年 | 美しい人 |
1972年 | 土 |
1975年 | 向い風 |
1976年 | 三人の花嫁 |
1977年 | 荷車の歌 |
1978年 | 三婆 |
1979年 | サンダカン八番娼館 |
1980年 | 女と刀 |
1981年 | あめゆきさんの歌 |
1984年 | 越後つついし親不知 |
1989年 | 三婆 |
1990年 | 荷車の歌 |
1991年 | 越後つついし親不知 |
1994年 | あかきくちびるあせぬまに |
1995年 | 青春デンデケデケデケ 越後つついし親不知 |
1997年 | サンダカン八番娼館 |
2001年 | ほにほに、おなご医者 |
2005年 | いろはに金平糖 |
2008年 | 天国までの百マイル |
- 2011年てけれっつのぱ
- 2019年三婆
- 2021年旅立つ家族
関連リンク
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