2023年 5月例会 愛の讃歌 ピアフ

岡山市民劇場 2023年5月例会:愛の讃歌 ピアフ - エイコーン ヘッダー

エイコーン
愛の讃歌 ピアフ

スタッフ・キャスト

Cast

栗原小巻 ポートレート
栗原 小巻
ピアニスト
城所 潔
ドラマー
長谷川清司

Author

原作
エディット・ピアフ

Translator

翻訳
中井 多津夫

Director

構成演出
加来 英治

加来 英治

Staff

音楽監督 城所 潔
美術 石井強司
照明 山本博史
音響 宗野 恵
舞台監督 大山慎一
監修 佐々木 準
歌唱指導 飯田純子
振付 大塚洋子
衣装デザイン 栗原小巻
衣装製作 神谷和枝
制作担当 横田みはる
PHOTO 石田 純
宣伝美術 市川きよあき
協力 三田村 隆子
企画製作 エイコーン
協力 晶文社

あらすじ

愛に傷つき、歌に生きた
伝説の歌姫の真実
ピアノとパーカッションによる
栗原小巻 の一人芝居


フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった
偉大なシャンソン歌手 エディット・ピアフ。

大道芸人の子として産まれ落ち、場末の町を流れ歩くひとりの娘。
その娘が天性の歌声で、一夜にして栄光の階段を駆け登るまでのサクセスストーリー。
そして数々の愛と苦悩の狂おしい過去を死の床から語り、自伝として残しました。

その自伝をもとに
愛に傷つき、歌に生きたシャンソンの女王「エディット・ピアフ」の真実を、栗原小巻が情熱的に演じ・歌う一人芝居。
ピアノ・城所潔、ドラマー・長谷川清司と共に、語りと歌でピアフの生きた足跡を辿るステージです。

岡山市民劇場 2023年5月例会:愛の讃歌 ピアフ - エイコーン 舞台写真
序章 死期が近い事を悟ったエディットは、時間のあるうちに自分の真実を話しておきたいと語る
二景 幼いころの暮らしとルイとの恋、ふたりの間に生まれた娘の死
三景 レイモン・アッソとの出会い『バラ色の人生』
四景 マルセル・セルダンとの恋『愛の賛歌』
五景 4年間にわたる麻薬との闘い
六景 エディットが才能を見出し育てた若い歌手たちのことを語る
七景 最後の恋人になったテオとの思い出
八景 莫大な金を稼ぎながら、すべてを他人のために使い果たす

解説
エディット・ピアフほど日本人に親しまれてきたシャンソン歌手はいないだろう。
彼女が歌った「愛の讃歌」は歌手だけでなく、多くの人たちが愛唱してきた。
極貧の身から大成し、数奇な運命に耐えて世界的なスターになった彼女のドラマティックな人生は映画や舞台で様々に脚色されてきた。日本でも数多くの女優がピアフを演じてきた。

栗原小巻も1986年と98・99年、2004年の三回にわたり演じてきた。
’86年初演の時は、それまでの清楚で品位のある小巻のイメージと違い、汚い言葉、体当たりで生きていくピアフを演じた凄まじい演技に驚いた記憶があるが、この役は彼女の芸域を広げることになった。そのピアフに改めて挑戦する。今回はピアフの自叙伝をもとに、加来英治が構成した新作で、新しいピアフが誕生する。

(パンフレットより抜粋)演劇評論家・水落潔
岡山市民劇場 2023年5月例会:愛の讃歌 ピアフ - エイコーン フライヤー表岡山市民劇場 2023年5月例会:愛の讃歌 ピアフ - エイコーン フライヤー裏


喜びと苦悩、ピアフの人生は、美しい泥にまみれていた。
その純粋な魂が、人々の胸を打つ。
両親、祖母、恋人、友人、歌、舞台、絶望、復活、そして真実の愛───。
岡山市民劇場 2023年5月例会:愛の讃歌 ピアフ Edith Piaf

「 私の人生はまもなく終わるでしょう。
その時がきたら
いろんな人が私の事を語りはじめるに違いない。
でも、みんなの話があまりに真実と違っていたら
私がどんな人間だったのか、本当のことは誰にもわからなくなってしまう。
時間のあるうちに、自分のことを話しておきたい 」

ピアフは、この自伝を書き終え、
まもなく亡くなった。

「ノン、私は悔やんではいないの」


この独白は、ピアフの最後の血の一滴である。


観劇のための予備知識として

知っているようで知らない
エディット・ピアフの歌

自伝を原作にしたこの上演。舞台を通してエディット・ピアフの真実が伝わることを願っています。劇中で歌われるその詩歌からは、エディットの愛と苦悩の叫びが聞こえてくるような気がします。

彼女の生き様と、その生き様から生まれてきた曲を知れば知るほど、この舞台もより味わい深いものとなるでしょう。

そのうちの数曲を歌詞とともにご紹介します。


十字架
Les croix
作詞ルイ・アマード、作曲ジルベール・ベコー。1953年にベコーによってリリースされたこの曲は、エディット・ピアフの代表的なナンバーにもなりました。宗教的で敬虔な雰囲気がしみじみと伝わる名曲。
- 歌詞 -    
Mon Dieu qu’il y en a des croix sur cette terre…
Croix de bois, croix de fer
Mumbles croix familieres…
Petites croix d’argent
Pendues sur les poitrines
Vieilles croix de couvent
Perdues parmi les ruines
神様 この世には沢山の十字架があるのですね
木や鉄の十字架
なつかしい十字架
胸元を飾ってる
小さな銀の十字架
廃墟の中に捨てられた
修道女の古い十字架

Et moi, pauvre de moi
J’ai ma croix dans la tete
L’immense croix de plomb
Vaste comme l’amour
J’y accroche le vent
J’y retiens la tempete
J’y prolonge le soir
Et j’y cache le jour
わたしも ちっぽけだけど
心の中に持っています
鉛でできた大きな
愛のような十字架を
風が吹いても
嵐が荒れても
夜も昼も
守ってくれます

Et moi, pauvre de moi
J’ai ma croix dans la tete
Un mot y est grave
Qui ressemble a “souffrir”
Mais ce mot familier
Que mes levres repetent
Est si lourd a porter
Que j’en pense mourir…
わたしも ちっぽけだけど
心の中に持っています
悲しみの文字が書かれた
ひとつの十字架を
でもその言葉は
口にするたびに
重々しく響き
死を連想させるのです

Mon Dieu, qu’il y en a sur les routes profondes
De silencieuses croix qui veillent sur le monde
Hautes croix du pardon
Tendues vers les potences
Croix de la deraison
Ou de la delivrance…
神様 この世には沈黙の深い底から
人びとを見守ってる十字架があるのですね
磔台にさらされた
尊い癒しの十字架
狂喜と開放とを
もたらす十字架が

Mais moi, pauvre de moi
J’ai ma croix dans la tete
L’immense croix de plomb
Vaste comme l’amour
J’y accroche le vent
J’y retiens la tempete
J’y prolonge le soir
Et j’y cache le jour
わたしも ちっぽけだけど
心の中に持っています
鉛でできた大きな
愛のような十字架を
風が吹いても
嵐が荒れても
夜も昼も
守ってくれます

Mais moi, pauvre de moi
J’ai ma croix dans la tete
Un nom y est grave
Qui ressemble a “souffrir”
Mais ce nom familier
Que mes levres repetent
Est si lourd a porter
Que j’en pense mourir…
わたしも ちっぽけだけど
心の中に持っています
悲しみの文字が書かれた
ひとつの十字架を
でもその言葉は
口にするたびに
重々しく響き
死を連想させるのです


バラ色の人生
(しあわせ)
La vie en rose

「バラ色の人生」は、エディット・ピアフの代表作であるにとどまらず、シャンソン史上の記念碑ともいうべき歌です。1946年にピアフがこの歌を歌いだすや、瞬く間に世界中の人々の心を捕らえました。

ルイ・アームストロングやイヴ・モンタンはじめ、数え切れない歌手がこの歌を持ち歌にし、今もなお世界中で歌われ続けています。

エディット・ピアフの歌の特徴は、シャンソンの伝統の一つであるバラード性を完璧な域にまで高めたこと。

作曲者はルイギともマルグリット・モノとも言われており、二人ともピアフのために多くの曲を作っています。詩はピアフ自らが書いたものです。彼女はろくな教育は受けていませんでしたが、人の心をとらえる詩を紡ぎ出すことにかけては、非凡な才能を持っていたのです。

恋に生きる女心を切々と歌う曲。

- 歌詞 -    
Des yeux qui font baisser les miens
Un rire qui se perd sur sa bouche
Voila le portrait sans retouche
De l’homme auquel j’appartiens
二つの目がわたしをみつめる
唇にはかすかな微笑
まぎれもない わたしが
愛した人の ポートレート

Quand il me prend dans ses bras,
Il me parle tout bas
Je vois la vie en rose,
Il me dit des mots d’amour
Des mots de tous les jours,
Et ca m’fait quelque chose
あの人の腕に
抱かれたわたし
バラ色の日々
あの人が語った
愛の言葉が
わたしをとろかす

Il est entre dans mon c?ur,
Une part de bonheur
Dont je connais la cause,
C’est lui pour moi,
Moi pour lui dans la vie
Il me l’a dit, l’a jure
Pour la vie
わたしのこころを
とらえた人との
幸せな日々
互いのために
生きていこうと
語った人よ

Et des que je l’apercois
Alors je sens en moi
Mon c?ur qui bat
それを思うと
わたしのこころは
高鳴るのです

Des nuits d’amour a plus finir
Un grand bonheur qui prend sa place
Des ennuis, des chagrins s’effacent
Heureux, heureux a en mourir
幸せだったわたしたち
愛の夜は更けず
悲しみは消え
死ぬほど幸せだった

Quand il me prend dans ses bras,
Il me parle tout bas
Je vois la vie en rose,
Il me dit des mots d’amour
Des mots de tous les jours,
Et ca m’fait quelque chose
あの人の腕に
抱かれたわたし
バラ色の日々
あの人が語った
愛の言葉が
わたしをとろかす

Il est entre dans mon c?ur,
Une part de bonheur
Dont je connais la cause,
C’est lui pour moi,
Moi pour lui dans la vie
Il me l’a dit, l’a jure
Pour la vie
わたしのこころを
とらえた人との
幸せな日々
互いのために
生きていこうと
語った人よ

Et des que je l’apercois
Alors je sens en moi
Mon c?ur qui bat
それを思うと
わたしのこころは
高鳴るのです

Des nuits d’amour a en mourir
Un grand bonheur qui prend sa place
Les ennuis, les chagrins s’effacent
Heureux, heureux pour mon plaisir
死ぬほど幸せだった夜
愛の余韻は続き
悲しみは消え
わたしは幸せだった


愛の讃歌
Hymne a l’Amour
この「愛の讃歌」 は「バラ色の人生」とともに、ピアフの代表的な曲です。作詩エディット・ピアフ、作曲マルグリット・モノ。

ピアフは戦後、プロボクサーのマルセル・セルダンと恋仲になるのですが、そのセルダンが1949年、飛行機事故で死んでしまいます。この曲はその死後に現れたので、ピアフがセルダンの死を悼んで作ったのだともいわれましたが、セルダンの生前に書かれたものであることが判明しています。相思相愛で誰もが知る仲ではあったが、妻子を持つセルダンとの恋愛に終止符を打つために書いたものだと考えられています。

日本では岩谷時子の訳詞により越路吹雪が唄ったものが特に有名。この岩谷詞より知名度は低いものの、永田文夫による日本語詞は比較的原詞の意味に忠実な内容となっており、岸洋子や美川憲一が歌唱してきました。美輪明宏は原詩の内容を忠実に伝えたいという意図の下で自ら訳した日本語詞を台詞として吟じたあと、フランス語の原詞で歌うというスタイルを取っています。また、さらに知名度は低いが、それ以外にも淡谷のり子が唄った井田誠一の訳詞や美空ひばりが唄った水島哲の訳詞などのバージョンがあります。

恋の喜びを朗々と歌ったもので、スケールの大きさを感じさせます。「バラ色の人生」同様、多くの歌手によって歌われ、今もなお世界中で愛されて続けている曲です。

- 歌詞 -    
Et la terre peut bien s’écrouler
Peu m’importe si tu m’aimes
Je me fous du monde entier
Tant qu’l’amour inond’ra mes matins
Tant que mon corps frémira sous tes mains
Peu m’importe les problèmes
Mon amour puisque tu m’aimes
青い空が崩れ
大地が張り裂けても
平気よ あなたに
愛されていれば
愛に満たされた朝
抱かれて震えるからだ
なにも怖くはないわ
あなたの愛があれば

J’irais jusqu’au bout du monde
Je me ferais teindre en blonde
Si tu me le demandais
J’irais décrocher la lune
J’irais voler la fortune
Si tu me le demandais
地の果てまでも行くわ
髪だって染めるわ
あなたが望めば
月だって 財宝だって
盗みに行くわ
あなたが望めば

Je renierais ma patrie
Je renierais mes amis
Si tu me le demandais
On peut bien rire de moi
Je ferais n’importe quoi
Si tu me le demandais
国を裏切り
友を裏切るわ
あなたが望めば
笑われたってかまわない
何だってするわ
あなたが望めば

Si un jour la vie t’arrache à moi
Si tu meurs que tu sois loin de moi
Peu m’importe si tu m’aimes
Car moi je mourrais aussi
Nous aurons pour nous l’éternité
Dans le bleu de toute l’immensité
Dans le ciel plus de problèmes
Mon amour crois-tu qu’on s’aime
いつか別れの日が来て
あなたが死んでしまっても
つらくはないわ
私もついて行く
永遠のいのちを得て
広い空のかなたの
悩みのない世界で
二人は愛し合うわ

Dieu réunit ceux qui s’aiment
神に結ばれるのよ

———-
岩谷時子の訳詞による『愛の讃歌』

あなたの燃える手で
あたしを抱きしめて
ただふたりだけで 生きていたいの
ただ命の限り あたしは愛したい
命の限りに あなたを愛するの

頬と頬よせ
燃えるくちづけ
交わすよろこび
あなたとふたりで
暮せるものなら
なんにもいらない
なんにもいらない
あなたとふたり
生きて行くのよ
あたしの願いは
ただそれだけよ
あなたとふたり

固く抱き合い 燃える指に髪を
からませながら いとしみながら
くちづけを交わすの
愛こそ燃える火よ
あたしを燃やす火
心とかす恋よ


水に流して
(ノン 私は悔いていない)
Non, je ne regrette rien

作詞ミシェル・ヴォケール、作曲シャルル・デュモン。1956年発表の曲。

原題は「Non, je ne regrette rien」、意味は「私は決して後悔しない」。エディット・ピアフの1960年リリースのレコード録音がヒットし、現在に至るまでいろいろな歌手により歌い継がれています。

- 歌詞 -    
Non, rien de rien
Non, je ne regrette rien
Ni le bien qu’on m’a fait, ni le mal
Tout ca m’est bien egal
Non, rien de rien
Non, je ne regrette rien
C’est paye, balaye, oublie
Je me fous du passe
いいえ いいのよ
後悔なんかしてない
いろんな ことが あったけど
水に流すわ
いいえ いいのよ
後悔なんかしてない
すべて水に流して
気にしないわ

Avec mes souvenirs
J’ai allume le feu
Mes chagrins, mes plaisirs
Je n’ai plus besoin d’eux
Balances mes amours
Avec leurs tremolos
Balances pour toujours
Je repars a zero
むかしのことを
思い出すけど
いまとなっては
気にならないわ
わたしたちの
愛の始まりを
新たな気持ちで
やり直しましょう

Non, rien de rien
Non, je ne regrette rien
Ni le bien qu’on m’a fait, ni le mal
Tout ca m’est bien egal
Non, rien de rien
Non, je ne regrette rien
Car ma vie
Car mes joies
Aujourd’hui
Ca commence avec toi…
いいえ いいのよ
後悔なんかしてない
いろんな ことが あったけど
水に流すわ
いいえ いいのよ
後悔なんかしてない
だって 
あなたと
新たに
愛し合うのだから


神よ
(私の神様)
Mon Dieu

作詞ミシェル・ヴォケール、作曲シャルル・デュモン。「水に流して」も同じコンビの作詞・作曲です。
- 歌詞 -    
Mon Dieu! Mon Dieu! Mon Dieu!
Laissez-le-moi
Encore un peu
Mon amoureux!
Un jour, deux jours, huit jours…
Laissez-le-moi
Encore un peu
A moi…
神よ
私のいとしい人を
もう少し
わたしに与えておいて
1日 2日 1週間
与えておいてください
もう少しだけ
私の元に

Le temps de s’adorer
De se le dire
Le temps de se fabriquer
Des souvenirs.
Mon Dieu! Oh oui… mon Dieu!
Laissez-le-moi
Remplir un peu
Ma vie…
彼と愛し合い
語り合う時間を
想い出を
紡ぎだす時間を
神よ
私の人生を
もう少しだけ
充たして下さい

Mon Dieu! Mon Dieu! Mon Dieu!
Laissez-le-moi
Encore un peu
Mon amoureux
Six mois, trois mois, deux mois…
Laissez-le-moi
Pour seulement
Un mois…
神よ
私の愛しい人を
もう少し
与えておいてください
6ヶ月 3ヶ月 2ヶ月
与えてほしい
たった
1ヶ月でもいい

Le temps de commencer
Ou de finir
Le temps d’illuminer
Ou de souffrir
Mon Dieu! Mon Dieu! Mon Dieu!
Même si j’ai tort
Laissez-le-moi
Un peu…
Même si j’ai tort
Laissez-le-moi

Encore…
始めるための時間を
それとも終わらせる時間を
輝かしい時間を
それとも苦しみの時間を 神よ
私が間違っていたとしても
もう少し
彼を与えておいて
私が間違っていたとしても
もう少し
彼を与えておいて
まだ・・・


それが愛
C’est L’Amour
作詩エディット・ピアフ。作曲マルグリット・モノ。「愛の讃歌」も同じコンビの作詞・作曲です。
- 歌詞 -    
C’est l’amour qui fait qu’on aime.
C’est l’amour qui fait rêver.
C’est l’amour qui veut qu’on s’aime.
C’est l’amour qui fait pleurer…
あなたを愛させるのは愛
夢を見させてくれるのは愛
愛しあいたいのは愛
ふたりを泣かせるのは愛

Mais tous ceux qui croient qu’ils s’aiment,
Ceux qui font semblant d’aimer,
Oui, tous ceux qui croient qu’ils s’aiment
Ne pourront jamais pleurer…
でも愛しあってると信じてる人はみな
愛するふりをする人
そう、愛するふりをする人はみな
泣くことはない

Dans l’amour, il faut des larmes,
Dans l’amour, il faut donner…
愛故に泣く
愛を込めて

Et ceux qui n’ont pas de larmes
Ne pourront jamais aimer…
Il faut tant, et tant de larmes
Pour avoir le droit d’aimer…
泣かない人たち
永遠に手にすることのない愛
流すたくさんの涙は
愛する資格を持つため

Mon amour, oh toi que j’aime,
Tu me fais souvent pleurer…
愛してる、ああ 愛してるわ
あなたはわたしを泣かせる

J’ai donné, donné mes larmes,
J’ai pleuré pour mieux t’aimer,
J’ai payé de tant de larmes
Pour toujours le droit d’aimer…
Pour toujours… le droit d’aimer
あげる、涙をあげるわ
あなたをもっと愛するために泣くのよ
流した涙は
永遠に愛する資格を持つため
永遠に…愛する資格


エディット・ピアフ

Édith Piaf
エディット・ピアフ
( 1915 – 1963 )

20世紀最大のシャンソン歌手と言われ、フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であったエディット・ピアフは、大道芸人の父とカフェシンガーの母の娘としてパリ20区の貧しい下町で、1915年に生まれる。

貧しい家庭に生まれたエディットは、2歳の頃に病気の療養のために北部ノルマンディーで娼館を営む祖母の元へ。幼い時期から娼館の娼婦や関係者の中で育ち、彼女の人格と人生観に強いインパクトを与えた。

6、7歳の頃には再び父親と放浪の旅芸人の生活を強いられる。
ある厳しい冬、父親のガシヨンが病気になり、家もお金もない環境で当時10歳にも満たぬエディットは通りで「ラ・マルセーエズ」を歌う。すると父親の稼ぎよりも多くの金が集まったというエピソードも伝記に記されている。天性の才能を持った小さなスターの誕生である。

1930年、15歳になる頃にはパリ郊外でのストリート・シンガーとして自身の道を歩み始める。
彼女は御用聞きの少年ルイ・デュポンと恋に落ち、16歳で女の子を産んでいる。その子はマルセルと命名されたが、2年後に小児性髄膜炎で病死してしまう。

ルイ・ルプレ

1935年ルイ・ルプレに見い出され、彼の経営するナイトクラブ ”ジャニーズ” で歌い始める。
エディットの身長は142cmに過ぎず、その小柄な容姿からルプレはのちの芸名となる「小さなスズメ」の愛称を彼女に与え「 La Môme Piaf 」の名でデビュー。スターダムへの道が開かれた。

しかし翌年、ルプレはナイトクラブにたむろする不良たちに射殺されてしまう。出会って間もなくして良き理解者を失ってしまったエディット。

レイモン・アッソ

ルプレの死後、エディットは傷心の中パリに戻り、同じくルプレの元でデビューしたレイモン・アッソという人物に出会う。彼はエディットをスターにすべく、パリのミュージック・ホール “A・B・C” の舞台に立たせた。アッソはエディットに愛を注ぎ、彼女もまた彼を必要としていたという。当時エディットが歌っていたレパートリーの歌詞もすべてアッソが書いたものである。だがこのふたりにも別れの時が訪れる..。

ジャン・コクトー

1940年、エディットを絶賛する人物の一人であったジャン・コクトーが彼女のために脚本「 Le Bel Indifférent 」を執筆する。彼女はまた、俳優のモーリス・シュバリエや詩人のジャック・ボーガットのような有名人と知己となる。自ら多くの歌詞を書き、作曲家達と協力した。代表曲「バラ色の人生」は第二次世界大戦のドイツ占領下に書かれた。この時期彼女は大変な成功を収め大きな人気を得る。

第二次世界大戦が終わった翌1946年バラ色の人生」をリリース。

戦後、彼女はシャンソン仲間とアメリカ制覇を目指す。フランス語を、シャンソンを理解できない聴衆に対してのチャレンジを決意するのであった。

彼女はシャルル・アズナヴールのデビューを手助けし、自らのフランス、アメリカでの公演旅行に同伴させた。アズナブールの他にも、イヴ・モンタンジルベール・ベコージョルジュ・ムスタキなど、エディットに才能を見出された歌手は多い。

イヴ・モンタン

この頃には大スターとなっていたエディットは、イヴ・モンタンと出会う。
エディットは彼の為にシャンソンまでも書いているのだが、モンタンの映画出演や一人前の歌手として成長して行く様子に嫉妬を感じたのか、モンタンは取り巻きからは外されてしまうのである。

1947年10月、このアメリカ初公演では大女優で歌手でもあるマレーネ・ディートリヒとも知友を結び、以後2人は生涯にわたる親友となった。この初公演の際にプロボクサーのマルセル・セルダンとも出会う。

マルセル・セルダン

彼女は生涯の大恋愛の相手、マルセル・セルダンと出会い恋仲になるが、そのセルダンは1949年に飛行機事故で死んでしまう。
1950年にリリースした「愛の讃歌」は、エディットがセルダンの死を悼んで作ったのだともいわれたが、セルダンの生前に書かれたものであることが判明している。相思相愛で誰もが知る仲ではあったが、妻子を持つセルダンとの恋愛に終止符を打つために書いたものだと考えられている。

1951年にエディットは自動車事故に遭い、その後ドラッグと酒に溺れる人生を送る事になる。

エディットは2度結婚しており、最初の夫は歌手のジャック・ピルス。ふたりは1952年に結婚し、1956年に離婚した。
2人目の夫は歌手・俳優のテオファニス・ランボウカス(「テオ・サラポ」の名で知られる)。サラポはエディットよりも20歳も若かったが、エディットの大ファンであったことが昂じて交際するようになり、ふたりはマレーネ・ディートリヒの介添えのもと1962年に結婚した。夫であるサラポは妻エディットの死後、妻の残した多額の借金を独力ですべて返済した。

1963年、人生最後の曲「ベルリンの男 – L’homme de Berlin」を録音。

1963年10月10日、享年47歳 リヴィエラにて死す。
(公式の命日は死が公表された10月11日とされている)

世界的な名声を得たのちの彼女は『二人分の人生を生きたの』と自らを回想したほど、波瀾に満ちた人生を送った。

遺体はパリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。彼女のそのライフスタイルゆえに、カトリック教会のパリ大司教は葬儀におけるミサの執行を許さなかったが、葬儀には死を悼む無数の人々が路上に現れ葬列を見送り、パリ中の商店が弔意を表して休業し喪に服した。墓地での葬儀は40,000人以上のファンで混雑した。シャルル・アズナヴールは第二次世界大戦後、パリの交通が完全にストップしたのはピアフの葬儀の時だけだったと述懐している。

引用参考:Wikipedia

観劇の感想


北九州市民劇場の感想より

岡山市民劇場 2023年5月例会:愛の讃歌 ピアフ - エイコーン 舞台写真3

  • 「え?小巻さんがあのエディット・ピアフを演じるの?」これが最初の感想でした。上品で清楚な小巻さんは、人生の底辺を知り、苦しみの中を生き抜いたピアフとは真逆なんじゃないかなと想像がつかなかったのです。

    しかし予想は見事に裏切られました。舞台が明るくなると栗原小巻色に染まったピアフがそこに生きていたのです。そして90分の間、客席の私たちは苦しみ多く、熱いピアフの人生を共に生きることができたのです。

    なんと純粋で正直で傷つきやすく、愛を心から求めた人であったか。そのことを小巻さんの迫力ある、しかも繊細な演技が感じさせてくれました。

  • どんな時にもたくましく愛情深く生きていくピアフ に感動しました。ピアノとドラムの生演奏で、ピアフが歌うパリのクラブにいるようでした。

岡山市民劇場 2023年5月例会:愛の讃歌 ピアフ - エイコーン 舞台写真2

  • 軽やかな身のこなし、透き通るような歌声、一時間半の一人舞台は「すごい」「すごい」の連続でした。

    ピアフと小巻さんの想いが見事に重なり、波乱万丈の人生を生き抜いた心のつよさがビンビン伝わってきました。

  • 幕開きからカーテンコールまで、愛のしなやかさと力強さに満ちていました。一人で多くの人物を巧みに演じ分ける力量に驚嘆!特に病室で、我が子と愛を交わすシーンには胸を打たれました。そして麻薬と苦闘する場面では強さを弱さを激しく表現して、ピアフが乗り移ったかのようでした。また終盤、身を売ろうとしますが寸前に我に返り人間の誇りを取り戻すピアフの姿を情感豊かに見せてくれました
  • ダンスも素敵でした。最初はパワフルでエネルギッシュなダンス。次は、シルクハットとステッキを使い、お茶目で軽妙で、私はいつの間にか拍手をしていました。

次例会のたね

Profile
———–

栗原小巻 ポートレート
栗原 小巻

父は劇作家 栗原一登
弟は演出家 加来英治

1966年
劇団俳優座入団

1967年
TV『三姉妹』他
日本映画製作者協会賞受賞

1968年
TV『風林火山』他
TV大賞優秀タレント賞受賞

1971年
舞台『そよそよ族の叛乱』他
紀伊國屋演劇賞受賞

1972年
映画『忍ぶ川」他
毎日映画コンクール主演女優賞受賞
ゴールデンアロー賞映画賞受賞

1981年
エールフランス女優賞受賞
舞台『ロミオとジュリエット』他

1991年
芸術祭優秀賞受賞
舞台『復活』
芸術祭賞受賞

1963年、東京バレエ学校卒業。劇団俳優座俳優養成所在籍中抜擢され、NHK『虹の設計』等に出演。
’67年、NHK大河ドラマ『三姉妹』お雪で、脚光を浴び、その年、日本映画製作者協会新人賞を受賞。’68年には、『三人家族』『みつめいたり』『風林火山』で、日本放送作家協会賞、第一回テレビ大賞優秀タレント賞に選ばれる。’72年には、『忍ぶ川』(毎日映画コンクール主演女優賞、ゴールデンアロー賞映画賞、エールフランス女優賞を受賞)

仕事の中心である舞台は、’68年に日生劇場『三人姉妹』イリーナ役が初舞台。’71年には、『そよそよ族の叛乱』で、紀伊國屋演劇賞を受賞。『ルル』をはじめ、千田是也氏の演出作品に多く主演。また、’81年、木村光一氏演出『ロミオとジュリエット』ジュリエット役で芸術祭優秀賞。’91年には、千田是也氏演出『復活』カチューシャ役で芸術祭賞を受ける。

’86年2月には、俳優座劇場でエイコーン第一作としてロシアの演出家セルゲイ・ユールスキイ氏を招き、『恋愛論』を初プロデュース、主演する。その後、同作品をモスクワで上演。高い評価を得る。世界的演出家エーフロス氏の演出『桜の園』に主演、新しいラネーフスカヤ像を創造。2000年には、ロシアの演出家アレクサンドル・マーリン演出千田是也追悼『肝っ玉おっ母とその子供たち』にアンナ役で主演。加来英治演出作品『愛の讃歌 PIAF』『プレンティ』他、多数。

1995年より2000年まで、テネシー・ウィリアムズの著作権者マリア・セントジャスト女史と九演連・川述事務局長のご尽力により実現した『欲望という名の電車』に主演。新劇運動として281回の公演を重ねた本作では、陰影のあるブランチを作りあげる。(2010年に再演する)他に、東宝ミュージカル『マイ・フェア・レディ』イライザ役で主演。

国際的活動としては、『NINAGAWAマクベス』で、’85年、英国エジンバラ芸術祭に参加。同作品を、アムステルダム、ロンドン、ニューヨーク、オタワ、シンガポールで上演。レディ・マクベス役は、本場の批評家から絶賛を浴びる。また『セツアンの善人』を、北京、上海、広州、香港で上演。 日ソ合作映画『モスクワわが愛』『白夜の調べ』『未来への伝言』に主演。中国映画では、謝晋監督『乳泉村の子』(原題;清涼寺鐘声)で残留孤児の母親役を演じる。

1995年~2022年 鑑賞運動、新劇運動のなかで創造したエイコーン作品と役名
『欲望という名の電車』 ブランチ
『PIAF』 ピアフ
『薔薇の刺青』 セラフィナ
『令嬢ジュリー』 ジュリー
『アントニーとクレオパトラ』 クレオパトラ
『アンナ・カレーニナ』 アンナ・カレーニナ
『メアリー・スチュアート』 メアリー・スチュアート
『櫻の園』 ラネーフスカヤ
『松井須磨子』 松井須磨子
『愛の讃歌─ピアフ』(一人芝居) ピアフ
岡山市民劇場 2023年5月例会:愛の讃歌 ピアフ - エイコーン 過去例会
エイコーン 櫻の園愛の讃歌 ピアフ
岡山市民劇場には
1971年 「冒険、藤堂作右ェ門の」(俳優座) 
1972年 「八百屋お七牢日記」(俳優座)
1982年 「食肉市場のジャンヌ・ダルク」(俳優座)
1983年 「メアリー・スチュアート」(俳優座)
1988年 「エセルとジューリアス」(俳優座)
以下 エイコーン作品
1995年 『欲望という名の電車』
1999年 『PIAF』
2004年 『アントニーとクレオパトラ』
2007年 『令嬢ジュリー』
2012年 『アンナ・カレーニナ』
2016年 『メアリー・スチュアート』
2019年 『松井須磨子』
で来演されています。

監修 佐々木 準 氏
日本におけるシャンソンの普及に尽力された、先駆者で第一人者。
昭和28年帝国劇場入社。同年11月、帝劇ミュージカル「赤い絨毯」(森繁久彌・有島一郎主演)のさく・編曲、音楽指導を担当。昭和29年8月東京宝塚劇場にて自作曲のミュージカルバレエ「陽気な水兵」を初演。東宝ミュージカル「お軽と勘平」(榎本健一・越路吹雪主演)、「極楽島物語」などの作・編曲、音楽指導を担当。また、日本バレエ協会をはじめいくつかのバレエ団からの委嘱によるバレエ音楽の作・編曲。昭和41年5月、作曲作品リサイタルを芦野宏、深緑夏代ほか日本を代表するシャンソン歌手が出演するコンサートをイイノホールで開催。リサイタル、コンサート多数。これまで、舞台、TV、CMから社歌、校歌に至る幅広い作・編曲においても高い実績をほこる。

音楽監督・ピアノ演奏 城所 潔 氏
(日本シャンソン・カンツォーネ振興協会理事長)
神奈川県出身。数多くのミュージカル、演劇の音楽監督を手がけ、自らのバンド「サウンドフォーカス」を結成。あらゆるジャンルの作品に作曲、編曲、指揮、ピアニストとして参加。幅広く活躍、『越路吹雪物語』など作品多数。共演したアーチスト、岸洋子、上月晃、倍賞千恵子、ロス・インディオス、菅原洋一、市村正樹、他多数。宝塚トップスター、鳳蘭のステージの音楽監督、ピアノ演奏を35年間務める。栗原小巻主演、加来英治演出『愛の讃歌ーPIAF』では、音楽監督、ピアノ演奏家として出演、全国各地を巡演。『松井須磨子』は2014年3月の初演から、音楽監督、ピアノ演奏家として出演、高い評価を得る。2019年2月には栗原小巻『愛の讃歌ーピアフ』(一人芝居)で音楽監督、ピアノ演奏。新しい作品世界を創造。

ドラマー 長谷川清司 氏
東京藝術大学別科卒業。クラシックを塚田靖、ジャズをMarvin “Smitty” Smith、キューバ音楽をFrank Malabe、ブラフル系をPaulo Bragaに師事。ダン・池田とニューブリードを経て1980年フリーランサーとなり、レコーディング総数は4000曲を超える。NHK交響楽団などで「ウエスト・サイド・ストーリー」のソリストを務め、2004年には世界中のオーケストラの名演奏家によるスーパーワールド・オーケストラに参加。TV番組 “夜のヒットスタジオ” “ふたりのビッグショー” など20本のレギュラーを26年間務め、伴奏した歌手は述べ4000人を超える。佐渡裕指揮、”題名のない音楽会” に多数出演。森山良子を18年間サポートし、1992年セビリア万博、1998年長野オリンピックレセプションに出演。ライブではジョン・海山・ネプチューン(尺八奏者)のアルバムに参加し、NY(フィッシャーホール)、ハワイ、マレーシアなどのジャズフェスティバルに出演。(敬称略) 1991年、自己のグループ “On a Roll”、2000年に “tickStick” を結成し、2001年にCD「tickStick」を発表。現在はレコーディング、自己のトリオを中心に活動中。『愛の讃歌ーピアフ』には2019年から参加。
(パンフレットより抜粋)

わが愛の讚歌 ― エディット・ピアフ自伝
エディット・ピアフ 中井多津夫 訳
( 出典:わが愛の讃歌ーエディット・ピアフ自伝 / 晶文社 )

翻訳者 中井多津夫氏への敬意と感謝(リスペクト)
1930年に生まれた中井多津夫は、2013年、10月11日に亡くなった。10月11日は、ピアフの命日でもある。ピアフの眠る地に、散骨してほしい、中井の希望を一部ではあるが妻は叶えた。この話を聞き、中井多津夫のピアフへの情熱に胸をうたれた。このたびの公演は、妻・悠紀子さんの、承諾を得て実現した。身の引き締まる思いである。
中井多津夫は、東大仏文科を卒業。ミステリー作家ジョルジュ・シムノンの『妻は二度死ぬ』等、翻訳家としても著名。エディット・ピアフ自伝のあとがきには、次のように書かれている。

  • ピアフは、本書の完結とほぼ同時にその生涯を終えた。
  • ピアフの葬儀に群衆が殺到。
  • 『ル・モンド』は、本書を絶賛。
  • ピアフの死後、17年の時を経て、かつて、原本で読んだ、この書の翻訳を思いたち、完成。

最後に、ピアフの真の姿を読み取って欲しいとある。

  • 汚れなき魂、ピアフの真実が、この作品の主題である。
  • イエスは、マグダラのマリヤに言った。
  • 「この女は多くを愛したから、その多くの罪は許された。」

エディット・ピアフ自伝より、ピアフの魂の言葉(中井多津夫訳)
  • 【この世界でいちばん素晴らしいものはたったひとつだけ、それは、愛の歌。】
  • 【愛は、いつも私から逃げていく。気がついたらまた一人ぼっち。】
  • 【マルセル・セルダンが、私の人生を変えたのです。】
  • 【テオ、あなたを幸せにしてあげる自信がないの。私たちにとって、いいことは何もないのよ。】
  • 【私はたえず勇気というものを持ちつづけたいと願ってきました。】
  • 【ジュ・ナン・コネ・バ・ラ・ファン《私には終わりがわからない》】
(パンフレットより抜粋)

公演スケジュール

岡山市民劇場 2023年5月例会:愛の讃歌 ピアフ - エイコーン

岡山市民文化ホール

例会日
5/18 7時
5/19 2時
5/20 休演日
5/21 2時
5/22 2時
5/23 2時
西大寺市民劇場例会
西大寺公民館大ホール
例会日
5/11 6時45分
5/12 2時
上演時間:1時間30分(予定)