公演スケジュール
- 岡山芸術創造劇場ハレノワ 中劇場
-
例会日 昼 夜 3/13 金 – 19:00 3/14 土 14:00 – 3/15 日 14:00 – 3/16 月 13:00 – 3/17 火 12:30 –
-
西大寺市民劇場例会
西大寺公民館大ホール -
例会日 昼 夜 3/23 月 – 18:45 3/24 火 13:00 –
魅力に迫る会にお迎えします♪
スタッフ・キャスト
Cast
-
- 赤羽秀之
- 長谷川 等伯
-
- 本郷 弦
- 信春・浜崎学芸員
-
- 中山 研
- 日通上人
-
- 川村 進
- 古渓宗陳
-
- 島田 仁
- 長谷川 久蔵 長男
-
- 中山正太郎
- 千利休
-
- 円地晶子
- お清 後妻
-
- 小林晃平
- 長谷川 宗宅 次男
-
- 朝日 望
- お妙 先妻
Staff
| 上演台本 | 岡山 矢 |
|---|---|
| 美術 | 林 清人 |
| 照明 | 遠藤正義 |
| 効果 | 山岸和郎 |
| 音楽 | 日高哲英 |
| 衣裳 | 竹林正人 |
| かつら | 斎藤三郎 |
| 舞台監督 | 中村信一 |
あらすじ
時は安土桃山時代、戦乱と下剋上の世。
能登・七尾に生まれた長谷川等伯は、幼い頃から画の才能をあらわし、やがて筆一本を携え京へのぼる。夢は、天下人の仕事を請け城の襖絵や寺院の天井画を描くこと。彼は、当時の画壇を牛耳っていた狩野派と争い、やがて秀吉直々の仕事を請け、「天下の絵師」として名を馳せていく。等伯の描く画の力が狩野派の壁を破ったのだ。
しかし、父をも凌ぐといわれた長男・久蔵との情愛と確執。そして久蔵の死。次々と襲い掛かる過酷な運命に抗いつつ、国宝「松林図」は、いかにして描かれたのか。あの画に込めたものは。「天下一の絵師」となることに人生のすべてを注ぎ込んだ男の、手放さざるを得なかったもの、見失ってしまったものとは・・。




えんげきの友より

◎ 七尾時代 ◎
能登国の戦国大名・畠山氏に仕える下級家臣の奥村文乃丞宗道の子として生まれ、幼名を又四郎、のち帯刀と称しました。幼い頃に、染物屋を営む長谷川宗清の養子となりました。宗清は、雪舟の弟子・等春の門人として仏画などを描き、作品も現存しています。等伯は10代後半頃から宗清や養祖父から絵の手ほどきを受けていたと考えられ、染物屋を営みつつ、日蓮宗関係の仏画や肖像画を描いていました。その頃は、長谷川信春と名乗っていました。
◎ 上洛〜中央画壇での活躍 ◎
1571年、33歳の頃、養父母が相次いで亡くなり、これを機に妻と息子久蔵を連れて上洛。
狩野派など諸派の画風を学び、宋や元時代の中国絵画に触れ、牧谿や雪舟らの水墨画にも影響を受けています。
京都では千利休や高僧など最強の人脈を得て狩野派に対抗。50歳頃には「等伯」と号して、長谷川一派を率いて豊臣秀吉の御用や大寺院の大仕事を手掛けていきました。
長男・久蔵の死に直面するも描き続け、国宝「松林図」が生まれます。
観劇の感想

- 何か魂を抜かれたような、心臓を鷲掴みにされたような、そんな気持ちになりました。シンプルな演出で何にも邪魔されない、余計なものもない、だからこそ演技に集中できました。一番印象的だったのは、久蔵が等伯に想いをぶつけるシーン、「敵でも味方でもないものがあると思う」という久蔵の台詞が、すっと自分の中に入って来ました。

- それぞれの役者の方の演技が素晴らしく、会話が面白く、見入って感じ入ってしまいました。最後には涙が止まらず、親子の愛と、何とも言葉にできない美しく哀しい松林図の絵が、心に焼きつきました。

- 「赤羽さんの演技・台詞に圧倒されました。劇中の音楽もとても良かったです。仲代さんの演劇、さらには人の生き方に対する思いなどが、この作品に吹き込まれているのではないでしょうか。最後のシーン、等伯が筆を握って描き出し、その背後に映し出された力強い松林の絵、能登・七尾の寒い冬の波音が聞こえてくるようでした。

- 俳優の演技も舞台装置も演出も、重厚で素晴らしい公演でした。等伯の生涯は無名塾だからこそ描けた舞台であったと、しみじみ余韻を噛みしめています。

- 長谷川等伯の作品のイメージからは、一見想像のつかない激しさを持った人物像。その一方で、ずっと寂しさを纏ったような雰囲気に惹かれました。現代の学芸員がいることで、専門的な観点がわかりやすく取り込まれた演出で、とても面白いと感じました。

- 仲代さんが出ない無名塾の舞台ってどうなるの?そんな心配をよそに、『等伯』はぜひ例会にしたい素晴らしい舞台だった。アンサンブルの良さ、そして何より塾生の成長を仲代さんも実感されているのではないかと想像している。

無名塾
無名塾の原点は、仲代達矢と宮崎恭子の自宅にあったプライベートの小さな稽古場です。1975年、多忙な仲代が不在の稽古場に、夫妻を慕う役者の卵や演劇を志す若者たちが芝居談義に集うようになり、そんな彼らに宮崎が少しずつ稽古をつけ、仲代も時折顔を覗かせ、無名塾は自然発生的に始まりました。
「素敵な次代の役者を育てたい」と、77年、無名塾は一般公募を開始。塾生の育成、さらに、宮崎が脚本・演出を手掛け、無名塾公演がスタートしました。
二人で教える私塾のため、塾生はごく少人数に。マンツーマンで3年間の修業。礼儀作法から歩き方、発声など、役者としての基礎を叩き込み、共に舞台を作り上げます。やがて無名塾は私塾という枠を超え、全国から公演を待たれる演劇集団に成長し、映画・テレビなどで活躍する俳優も数多く巣立っていきました。
無名という言葉には、どんな役者でも「無名に戻ったつもりで」修業に帰ってこられる場所という意味も込められています。設立の頃から、仲代と宮崎は「ここを出て自由に羽ばたいていった後、壁にぶつかった時に、原点に帰れる場所があるといい」と考え、無名塾は回帰修業の場でもあるとしています。キャリアを積んだ者と若い者とが切磋琢磨できる場所。舞台に立てば、塾長である仲代も新入塾生も同じ役者という姿勢がそこにはあります。
設立から40年を超えても、役者は「生涯修業」という無名塾の原点は揺るぎません。
これまで例会にお迎えした作品たち
| 1991年 | 令嬢ジュリー |
|---|---|
| 1997年 | リチャード三世 |
| 2001年 | ウインザーの陽気な女房たち |
| 2002年 | セールスマンの死 |
| 2005年 | ドライビング・ミス・デイジー (劇団民藝+無名塾) |
| 2010年 | 炎の人 |
| 2014年 | ロミオとジュリエット |
| 2019年 | ぺてん師タルチュフ |






2023年 バリモア