公演スケジュール
- 岡山芸術創造劇場ハレノワ 中劇場
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例会日 昼 夜 10/8 火 – 19時 10/9 水 13時 – 10/10 木 13時 – 10/11 金 12時30分 – 10/12 土 14時 –
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西大寺市民劇場例会
西大寺公民館大ホール -
例会日 昼 夜 10/19 土 – 18時45分 10/20 日 13時 –
松本祐子さんを魅力に迫る会にお迎えします♪
キャスト・スタッフ
Cast
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- 星野真広
- 三好十郎
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- 能登 剛
- 八田元夫
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- 南保大樹
- 丸山定夫
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- 宇坂ひなの
- 森下彰子
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- 豊泉由樹緒
- 薄田研二
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- 奥山 浩
- 永田 靖
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- 橘 麦e|factory
- 園井恵子
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- 小泉隆弘
- 多々良純
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- 中 花子
- 仲 みどり
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- 古山華誉
- 島木つや子
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- 三森伸子
- 戸川春恵
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- 常深怜フリー
- 高山象三
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- 原野寛之
- 水谷健三
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- 羽生直人フリー
- 川村禾門
Staff
美術 | 石井強司 |
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照明 | 中島俊嗣 |
音響 | 山北史郎 |
衣裳 | 有島由生 |
お神楽指導 | おかめ会・社中 |
舞台監督 | 相川 聡 |
制作 | 横川 功 |
あらすじ
1945年8月下旬
演出家・八田元夫は世田谷・赤堤の劇作家・三好十郎宅に広島からやっとの思いでたどり着いた。大事に抱えてきた風呂敷包みの中には、俳優・丸山定夫の遺骨の入った骨壺があった。あの惨劇からまだ3週間もたっていない。2人は稀代の名優を偲び、まずい酒を酌み交わす。
突如、男の声が割って入ってくると
時は前年 (1944年) の秋にさかのぼる。
丸山定夫は、2年前に創った劇団「苦楽座」に演出家として力を貸してくれと八田に頼み込んでいる。しかし八田はやりたくても、当局により治安維持法違反により演出家登録を抹消されているのだ。
どうする、演目は三好十郎の「獅子」・・・・、
大政翼賛会・移動演劇連盟に参加しない限り、芝居を上演できない状況だ。
「僕は芝居がしたい、 芝居がしたいんです」
「それしかお芝居やれる手段がないんですよね?」
丸山は決断する、苦楽座あらため「さくら隊」としてでも、どうしても芝居を続けると・・・。
やがて皆の心は一つとなって、広島へと向かうのだった。果たして丸山、八田、三好の3人が 時代と闘いながら見た夢 とは・・・・。
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新築地劇団、新協劇団の強制解散
新劇人の検挙・投獄 - 1940年8月、泥沼の戦争に傾斜の度合いが激しくなる中、時勢に逆行するとして「新築地劇団」「新協劇団」が国家権力により強制解散させられ、同時に多くの新劇人や支援者が検挙・投獄された。その後も治安維持法違反などで敗戦まで自由を奪われ、活動が著しく制限された。
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苦楽座そして桜隊へ
- 1942年、薄田研二、丸山定夫、徳川夢声、藤原釜足らにより苦楽座を結成。
1945年には最後まで移動演劇隊への改組に抵抗していたが、演劇活動のためには移動演劇連盟に参加せざるを得なかった。15人が広島を拠点として中国地方を中心に「獅子」を持って巡演活動を展開、七月中旬に広島に戻った。そして8月6日の朝を迎える・・・。 -
移動演劇連盟
- 1941年、大政翼賛会の中に、戦争遂行を支援するために食料や鉄鋼の増産に励む労働者や農民漁民の人たちを慰問する目的で、工場、農村、漁村、山村などでの巡回公演に取り組むために発足。解散を免れた劇団もすべて組み込まれ、各地に疎開として拠点を移し矛盾に苦しみながら活動するしかなかった。名称も「苦楽座」が「桜隊」に、「俳優座」は「芙蓉隊」に強制改称。
ノンフィクション作家、堀川惠子さんの「戦禍に生きた演劇人たち」(講談社)が原作。
自由を奪われ活動も制限された戦争一色の時代にあっても、それでも芝居を続けたいと、検束や尾行、挙句は解散などの困難を超えて、夢を貫いた新劇人たちの姿を描いた今に通じる生きたドラマです。
えんげきの友より
東演創立60周年記念公演。堀川恵子のノンフィクション『戦禍に生きた演劇人たち』をシライケイタが脚色し、松本祐子演出。今期活躍が著しい松本の緩急の利いた演出が、時代と、太い描線でデフォルメを利かせた演劇人のバイタリティをくっきり映し出す。
さてひるがえって今の日本。
自由にものが言える社会が脅かされていないと言えるのか。
痛烈な問いかけが何ともタイムリーだ。
観劇の感想
東京公演感想文より
- 「生きること、夢を持つこと、闘うこと、仲間を想うこと」この一節に胸を打たれてどうしてもこのお芝居を観たい、観なくてはと思いました。
- 役のそれぞれの立場が良く分かり、その気持ちが伝わってきました。「自分の人生を、自分の生きたいように生きよ」という台詞は、いつの時代でも通ずる普遍的なメッセージとして特に響きました。
- 「桜隊」は事実として知っていましたが、この芝居を観て戦争の大罪、また同じ演劇人としてのそれぞれの葛藤が、こちらに強い思いが伝わってきました。
- 演劇の持つ力、持たなくてはいけない力をヒシヒシと感じました。世の中の真実を伝え続けて欲しい。たくさんの人に伝わるようにしたいと思いました。いつの世も真実のために闘った人、闘っている人がいることに勇気をもらいました。
劇団東演
劇団東演は1959年、故・八田元夫(1976年没)、故・下村正夫(1977年没)の両演出家を中心に東京演劇ゼミナールを発足。1962年に現在の「劇団東演」となる。 スタニスラフスキー・システムの研究と実践を通し、リアリズム演劇の発展と現代社会に鋭く目を向けた創作劇の創造、 近代古典の積極的発掘を旗印に、八田、下村が交互にその芸術を発表し公演として 品格のある舞台を 創り出してきました。
両演出家が他界した後、1978年に現在の下北沢に本拠地を移し、同時に「東演パラータ」という、小劇場を開設、 創造の拠点を造り新たな出発をしました。
創造面においても我々の再出発の時、千田是也(劇団俳優座、1994年没)氏が演出を引き受けてくださり、今までにない新鮮な刺激を真正面から受け止めました劇団の代表的レパートリーでもあるM・ゴーリキーの「どん底」は 、八田元夫演出で1966年の初演以来全国各地での公演で、東演の「どん底」か「どん底」の東演かといわれるほどに、そのアンサンブルが醸し出す密度の濃い人間の舞台として定着していました。
1980年に千田是也演出で再創造、その後もたびたび上演されていますがアンサンブルの伝統は脈々と生き続けています。
1981年、当時のソ連の代表的演出家、A・エーフロス氏を招きチェーホフの「桜の園」を上演、翌年には「ナターシャ」と続き、4年間にわたる日ロの演劇交流は閉塞状況の打破に大きな役割を果たしたと思っています。その伝統がベリャコーヴィッチ氏との「ロミオとジュリエット」「モリエール」に受け継がれ、 1996年には「ロミオとジュリエット」でモスクワ、ペテルブルグ公演に 発展し、 その後、2004年にもベリャコーヴィッチ演出の「どん底」でモスクワ、 ペテルブルグ、ニジニノブゴルド公演を行った。また中国との交流も行っており、 「長江」「そして、あなたに逢えた」を上海、武漢、広州で公演。さらに交流は発展し、東京で上海話劇センターとの 「www.com」相互上演(03年)、湖北省話劇院との「臨時病室」相互上演。 今後も交流は発展していく。
これまで例会にお迎えした作品たち
1967年 | どん底 |
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1980年 | どん底 |
1981年 | 桜の園 |
1985年 | 歌え!悲しみの深き淵より |
1989年 | リサの瞳の中に |
- 1992年 どん底
- 2018年 検察官
- 2021年 ワレリー・べリャコービッチのマクベス
関連リンク
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